私は言葉を

自分が表現力豊かで感受性が強いことを誇示することを第一目的として選ぶ人のことは好きじゃない。
それはとても空しい行為だ。そういう言葉は宙に浮く。決して届かない。そして空気に掻き消える。

対話の中でちょくちょく相手の自分の印象を「こう思ってほしい自分像」に誘導しようとする人も好きじゃない。
そういう気配を少しでも察知すると興ざめしてしまう。

相手の自分に対する印象をある程度コントロールすることは、ある場面では必要かもしれないし、可能だと思う。
けれどそれは何というか、あらゆる場面でできることではないと思うのだ。

そういうことをしている時点で、私にとってのその人は「そういうことをしている人」になる。そしてその印象はなかなか払拭されない。

私はそういう人と親しくなりたいとは決して思わない。