可塑性

笑ったときの、目元がうつくしい人だった。
目尻にあらわれる皺、目蓋の引き攣れ方、まつげの揺れ。
相対する者に、何か豊かなものを共有できているという自負を齎すような笑い方だった。
後期(私たちの付き合いにおける)の荒んだ様を知っているがゆえに、尚更そう思うのかもしれない。

笑ったときの目元があまりにもうつくしいから、わたしはその瞳を知らない。
語りかけてくる皺に目蓋にまつげばかりを見ていて、瞳の色は知らないまま疎遠になった。

今日よりもよりよい明日を ※3/20追記

自己啓発本みたいなタイトルではじまりましたが、表題の件、最近のわたしのいちばんの関心事なのです。
否、関心事どころか、わりと切実な希求といいますか。

女に産まれたからには、誰しもが(違っていたらごめんなさい)なんとなく漠然とした不安を抱えている、とわたしは思っていて、その一点のみに於いてわたしは女性を戦友のようにも思うし、逆に同族嫌悪的に疎んでもいる。
女には、タイムリミットだったり、賞味期限だったりが、あるような気が、している、というのが、不安の正体であると思う。

わたしは日々、特に働き始めてから、女で良かったと思う瞬間が増えた。
それはわたしの周囲の環境に過ぎないけれど、確かにしんどくない気がするのだ、男と比べて。
女にはなんというか、抜け道みたいな、裏道みたいな、そういう手段がある気がする。正攻法じゃないやり口が、切り札のように。
それを選ぶか否かは本人次第であるし、果たしてそれが女全員の目の前にあるのかも分からないし、だから一般論に拡大する気は更々ないのだけれど、わたしはある、と感じながら日々を生きていて、その感覚は働き始めてからかなり強くなった。
そのカードを切ると、楽なのです、とても。

でもどうしてでしょう、そのカードを切った後は必ず、とても空しい。
それがわたしの価値ではなく、若い女な価値であること、米櫃の米をばら撒くがごとき行為であるということ、いつか潰えていく、かといって後生大事にとっておけば虫がわくということ。

女という自分に助けられながら、ゆっくりと殺されていく気がする今日この頃。

皆さま如何お過ごしですか。


〈3/20追記〉

と書き殴った直後にTwitterでルミネのCMの件を知り、いそいそ閲覧しにいき己の問題意識にびんびんに触れてくるなぁなんてボンヤリしてしまいました。
とことん的外れで、不愉快この上ないと思う反面、バッカだなー、お前ら、ぜんっぜん分かってないのなーと結構余裕でかわせたりもしました。
男に粗末に扱われないために身なりを整えてるわけじゃなくって、自分のためにオシャレをしているに決まってるじゃないか。そりゃたまにかしましく「勝負服!」とか「男子ウケが〜」とか女何人かで話してるのを小耳に挟んだのかもしれんが、それはな、語尾にwwがついているのだよ。言ってて楽しいだけなの、わかるかなー。真に受けてホイホイあんなお恥ずかしいCMつくっちゃって、ご愁傷さま。
でもわたしはこれからもルミネで買い物をすると思う。不買運動とか、でもだって、便利だし。
でもなんか、なんかなんだか、萎えつつもあーあって感じで笑ってしまった。

場数

仕事でミスをしてしまいふがいなさでちょんとつつかれればぶわっと涙が出そうなジト目でここ数日を暮らしているのですが、
周りの大人の人たち(と今年満26歳がいうのはイタいのは重々承知なんですがほんとにこう思うから仕方ない)の、場数を踏んできた感にただただ助けられています。
何度もこういうことがあって、都度都度もはやベストはない状況でそれでもベターな対応を選び、収めてきたんだなというのがひしひしと感じられて、全くそんな場合でないのにときめいたりしてます。愚かだ…。

でもでも、ほんとにうわーんごめんなさーいありがとうございますーうわーんって上長に抱きつきたいのが本音で、こんな部下を持って心底気の毒です…。
仕事だから対処してくれてるんですよ。

せめて学習しよう、せめて。
頑張ろう、とすんなり結構重ために思い、そんな自分に驚いたりする2015年です。

あの頃の音楽

高校生のころ大好きだった曲がイヤフォンから不意打ちに鳴った瞬間、
コートの胸元をぐいーっと引っ張られるような気持ちがした。
その手は女子高生だった私のものだと思うが、とにかく強制力のある、純粋な暴力で、電車の中の会社員の私は、何だかしみじみ切なくなるのだった。
あの頃、この曲が救いで、憧れで、全てをぴたりと言い表してくれていると本気でそう思ってた。
そういう音楽の摂取の仕方は、贅沢で、今は失われつつある感覚のように思う。
それを惜しむ間もなく電車は走る。