とうに明けましたが

喪中につき新年のご挨拶ができません。とにかく何卒今年もよろしくお願いしますとだけ書いておきます。

結局私の人生に課されたテーマは「赦し、再生」なのかなあと思うような年末を過ごしました。思いがけないことがふとしたことを契機に怒涛の勢いで目の前に現れてきて、それに対する反応や対処で大層エネルギーを消耗しました。
今の私のどこを引っ掻き回しても一片のエネルギーも残っていないと思います。
正直とてもショッキングな内容だったし、また悪いことにそれが私のトラウマを刺激する類のものだったので、2011年になってからまだまともに外出できていません。外へ出ると自己が相対化される気がして、それを恐怖しているからです。今の自分を相対化できるほど私は自分に厳しくなれない。かといって家の中で生産的な行為を行うこともできず、背中を丸めて自衛に走るのが精一杯、という感じ。

かといって一日中暗い部屋で白い壁にむかって頭打ちつけてるわけでもないので、友人各位にはあまり心配しないでくださいと伝えておきます。普通に眠るし、わらうこともあるし、時折歌だって口ずさめるし、食事も不定期にですが摂れるようになってるし。

どんな風に傷つけられようがそれが「傷」として皮膚や心に宿った瞬間、それは既に私の一部になっている。そのことについて、今は繰り返し考えている。

こういう状況に置かれたとき、この世界に文字が、言葉が文章があることの奇跡を強くかみしめるし、その奇跡に心から感謝する機会を持てたことを幸せに思えたりする。

つらつら書き連ねていて気づいたけど、私ってやっぱりどこまでも「傷つけられる用モデル」として作られてる気がする。痛みに対する耐性(またの名を自分の都合よく解釈する力/現実逃避力)だけやたらと兼ね備えている気が……。
空しい自信だけは常にひっそり握りしめているし。
なんだろう、この幸せになれなさそうな感じ。

今は傷と私のセカイにくるまっていようと思います。
視て聞いて嗅いで舐めて触れて、あますことなくこの傷を知り尽くしたい。
痛みを伴っても、このからだについた限り、私はそれをやめたくない。