切ながりたがり

だな私は、ということを再実感するような二日間だった。
私はすぐに物事の根っこに空しさや無常を見出したがるし、それをまじまじと見つめて「切ない」という名前をつけたがる。
それは何となく、とても悪いことでもないと思うが、いいことでもないように思える。
切ながりたいという私の欲求によって、私からみた世界は確実に歪められてるからだ。
さして直したいとも思わないが、何となくかなしい生き方な気がしなくもない。
例えば、賛美したがりさんからみた世界は、とても光にみちていて銀テープが舞っているような気がする。嬉しがりたがりさんの世界はコーラルピンクのリボンで蝶々むすびになっていそう。
私からみた世界は、何となくすべてのものに青い光があたっていて、透明な膜がはっている。