もはや

向き・不向きの問題と名付けて責任逃れをしたくて堪らない。
あれだけ愛を注いで育ててもらった筈なのに、なぜだろう、私はそれを体内に留め続けることができない。愛を食らって生きでもしてるのか。或いは愛を感じる心の器官が正常に活動していないのか。欠けたグラスのように、注がれても注がれても漏れていってるのだろうか。分からない、分からないが、そういった私の性質(一般的に情が薄い・ドライなどと呼ばれているもの)を私はある程度仕方ないと思って受け止めているし、何よりもその性質が私に文章を書かせていると思っているので本人的にはもはや特に思うこともないのだが、両親、特に母親は私のそういった面に非常に固執し、ことあるごとに指摘し、遠回しに否定し、矯正させようとしてくる。子供は、親の作品なのだろうか。子供は、親の引いた線から飛び出してはいけないのだろうか。子供の本意と親の本意に明らかなずれのある場合は、どのように対処していけばいいのだろうか。そういったこと全てを投げ出してくらげのようにぷかぷか海を漂いたい。