泡のような真夜中

女ふたりで居酒屋。近くの大型スーパーで紙とボールペンを二本買って横並びで座る小さな小さな個室に収まった私たちは、店員から見たらどういう関係にみえるのかという話を机の上に並べた白い紙に絵や断片的な言葉を書きながら話したりして、夜を明かした。
高校時代後半、毎日のようにファーストキッチンでアフタースクールを過ごした私たちは、あの頃よりも少しだけ本質に触れる頻度の高い会話をしている気がする。さみしいよ、さみしいよと彼女は言っていた。さみしいことを良いことと捉えるか悪いことと捉えるかが、分かれ道だと思った。必要とされることを必要とする。必要とされるためにやさしくする。大いなる努力は、私には少し窮屈そうに思えて、その切実さに胸が詰まる。彼女は理系で、自分は筋道立って話すのが苦手だと言っていたが、でも彼女の紡ぐ言葉はいつだって小手先で並べられてない、本質にまっすぐ眼差しをむけて放たれてるものだと感じる。私にとってとても大切な子だなと、夜中の残骸の転がる朝の横浜を肩をならべて歩きながら強烈に思った。