意識

読書とは、ときに自分の内面や価値観の変容をまざまざと見せつけられ、自分の中から失われてしまった感覚を惜しんだり、自分の中を通り過ぎた膨大な時間の偉大さを痛切に思い知ったり、ごく稀にこころの成熟の予感を嗅ぎ取れる行為、になりうる。
だから「この本を読むにはまだ早すぎる」という忠告や「まだ若いから理解できないのでは」という危惧は、少なくとも私にとってははなから見当はずれである。
なぜなら読書というのは、本を読み終わった時に終わるものではないからだ。

ということを段々と分かり始めたかもしれない…という話。

体は全部知っている (文春文庫)

体は全部知っている (文春文庫)

中学生の頃、熱に浮かされたように読みあさった吉本ばななの作品の中でも、初めての吉本ばなな作品だった「N・P」や、少女漫画より少女漫画らしい「哀しい予感」、あまい「ハチ公の最後の恋人」を特に気に入って、繰り返し読んでいた。
けれど大学生になった今の私には、上に貼った作品や「とかげ」、「白河夜船」がとてもいとおしい切実さ、痛みを伴う共感を以て心のやわらかい部分に食い込んでくる。
書いてることが分かるということ。その率がゆっくりとしかし確実に上がってきていること。そういうことを特にここ数年、つよく意識させられる。

もともと年喰うのを嘆き悲しむタイプではないけれど、じわっと嬉しさがこみ上げるのはこういう瞬間である。