Love letter(from the bottom of one night)

とても正気ではない。
今は真夜中で、私は疲れ切っていて、なおかつしらふじゃない。
それがいったいどれほどの割合で事実かはさておき、そういうテイで。あくまでそういうスタンスで。よっぱらいのざれごとで。
書きたいことがある、今の私には。
ひとりの友人について。





彼女のことを思うとき、頭にはいつもあるイメージが立ちのぼる。
落ち着いたグレーをしたカシミアの。膝掛けのような、マフラーのような、そんな、布きれだ。
柔らかく、軽やかに、無口なまま。
そこにあるというスタンス。
さっと手に取れば、やわらかい。首に巻いて鼻をうずめれば、あたたかい。けっして毛羽立たず、しっとりとあたたかい。
彼女は不用意に口をひらかない。
ことばの孕むうそを知っている。
それ以上に、ことばよりも雄弁につたえる手段をもてている。
だから彼女はことばなんて曖昧なもの、使う必要がない。
(聞いているよ。他の誰でもない、あなたの話を。)
極上の相槌、反応。
その賢明さと懐の深さに、何度も救われてきたんだろう。そして、何度救われていくんだろう。



私たちが過ごした日々を思い出してみる。
降り積もった時間まるごとすべてが、彼女を好きになっていく時間だった。
一度たりとも嫌いになったことなどない。いつだって、とおいものを思う気持ちではない好きだった。
あまりにも自然に、私の日常に溶け込んでいたグレー。
ときどきはっとその稀有さに気づいて、めぐり合えた何かの縁に深く感謝して、またぽーんと頭の片隅に放り投げられる。
けれど必ずまた思い出す。その繰り返し。おそらく死ぬまで。
それは私にとって、限りなくほぼ奇跡に等しいこと。
とてもspecial。とてもcannot be replaced。
私がほんとうに自分を嫌いになるとしたらそれは、彼女に嫌われたときだ。断言できる。



とてもまともでしかも優れた思考回路を持っていて、そのくせ変で、とても謙虚で、おどろくほど賢いのに横柄さのかけらもなくて、やることはこっそりきっちりこなしていて、きちんとなまけるところはなまけている。
そんな人間がいるなんて、彼女に出会う前までは知らなかった。
限りなく謎っぽいものにみえてその実、一見矛盾にみえるいくつかの性質が配合されているだけで、極めて整合性のとれた存在だということ。
その配合バランスについた名前が、おそらく彼女の名前なのだ。
一匙違えばもう違う。
私は彼女をこんなにも愛せていないかもしれない。
いい仕事をしてくれたもんだかみさま、とつくづく思う。



たった数回みた貴重な彼女の弱った姿は、そういえばとても遠慮がちで品がよかったなあ。
あれは人間関係の脆さを知っている人の弱った姿の見せ方だった、と確証もないが思う。
私たちが他人と手を汚しながらつくっているものが砂の城であることを彼女が知ったのは、いったい幾つのときだったんだろう。



私はヌードにあまり興味がなくて。
美しいな、とは思うけど、近づきたい触れたい、とは思わない。
欲求を刺激しないというのかな。
実際、そういう人は結構いるのだけれど
私が彼女とタッチし続けたいと思うのは、つまりはそういうこと。
いつまでもおどろき、頭の下がる思いをしていたい。
彼女は無理なくそれをやってのける。
なぜなら彼女はそういう性だから。



けど、たまには弱ったところを見せたっていいよ。
とてもドライでそういうの嫌いな風に見られがちだけど、私案外そういうのきらいじゃない。それに何よりも意外と優しいから。



最後に少し客観的ぶって私と彼女のことを分析してみると。
あまり他人を深い部分に入れなさそうなふたりの相性が抜群なのは、

彼女の踏み荒らしたくないという思いと、私の踏み荒らされたくないという思いが、等しく一致しているからだと思われる。









後書き
書きあげたら案の定、正気の沙汰じゃなかった。
たまにはこういうのもいいじゃないかって猛省する自分に言い聞かせている。
愛を吐き出したいときだってある、だってにんげんだもの
彼女に該当する人はここを見てるのか見てないのか知らないけれど。
読んだ友人は自分かもなんて思ってどきどきしてください(笑)
ドン引きも勿論受け付ける。というか自分でドン引きしている。

あらゆる可能性をひとつずつつぶして、残るもの。
それを信じること。つぶれた残骸を弔うこと。
おやすみなさい。