ノンフィクション

生きるというのは消耗と回復の連続的な運動により保たれる状態だと、つくづく実感する日々である。
くたくたになった肉体は、例えばつるんとした浴槽に張られた湯や無言で微笑む白米の甘さに助けられて、またきびきびと動けるように回復する。
すり減って軋んだ精神に、豊かな音楽や本の一節、誰かの言葉の優しい響きが静かに沁みわたり、またそれはすり減らせるほどの大きさと張りを取り戻すことができる。
最近、回復が少し間に合わないことがよくある。もう少し深く食い込んだ表現をすると、何を摂取すれば回復するのかということが分からなくなってきている。
それは逆も然りで、何が私の肉体と精神を消耗させるのかが分からないということでもある。
自分のことは自分がいちばん分からないということが何より肉体と精神を消耗させている気がする冬。
私が少年ジャンプに掲載された漫画の主人公で、この状態に修行編という名前をつけてくれたら幾らか楽になりそうなのに。
残念ながら、私の歩く地面は紙面じゃなくて大地なのだ。